GO FIGHTERS!!

My Fighters

この文章は、このGO FIGHTERS!!が出来た時に
まだ青臭かった?管理人が勢いにまかせた書いたものです。
今になって読むと、恥ずかしいですが、
これも思い出としてそのまま残してあります。
これを読めば、GO FIGHTERS!!誕生の秘密が
少しは分かるかもしれません (^_^)

■ 管理人のファイターズ

1984年 甲子園ボウル
私がファイターズと出会ったのは1984年の甲子園ボウルでした。その年の対戦相手は日大。
怪腕QB松岡を擁し 関東リーグをブッチキリで優勝。一方関学は近大との優勝決定戦に
辛くも勝って甲子園への出場権を獲得したものの 下馬評は圧倒的に日大が有利。

ところが試合が始まると甲子園は騒然!! ファイターズは何とリーグ戦ほとんど出ていなかった
1年生のオプションQBの野村を起用し、日大を翻弄、一方 日大も松岡のパスで応酬し
逃げるファイターズ、追う日大という展開。(要はお互いディフェンスがADJUST出来なかった
だけですが、そういう野暮なことは言わないでね。) 第4Q、地力で勝る日大が遂に逆転。
試合終了まで1分37秒を残して日大が42-34とリード。

しかし、ここからドラマが始まったのです。QBを野村からエース縄船に代えたファイターズは
一転パスで日大陣へ。一度は縄船のファンブルで後退したものの、試合時間残り4秒、
第4ダウンの絶体絶命のピンチから放ったパスが日大DBの手をかすめて、エンドゾーンにいた
関学WB菅野の胸にスッポリ!! まさに劇的 (くさい言い方だけど 他に適切な言い方が無い)な
タッチダウンで2点差に。さらにTFPの2ポイントコンバージョンも野村が飛び込んで、
ギリギリ成功。とうとう42-42の同点に追いついたのです。

いやー、今から考えても体が身震いする凄いゲームでした。もちろん甲子園のスタンドを
埋め尽くしたファイターズファンは全員立ち上がっての万歳三唱。その日初めてアメフトを
見た私も大感激で、訳の分からん奇声を上げてました。あの日、もし ファイターズが
下馬評通りボロボロに負けていたら?アメフトなんかつまらんと私は思っていたかも知れませんね。 
と言うことは このHPも存在しなかった?! (多分ね、アハハ)

第39回甲子園ボウル
('84年12月9日)
関学 7  7 14 14|42
日大 0 14  7 21|42


1985年 甲子園ボウル
翌年私は 幸運にもファイターズの試合をグランドに降りてサイドラインから見られる特権を
得ました。(ムフフ...) 春の日大定期戦から、秋の関京戦、そして甲子園ボウルと
ファイターズの戦い振りをサイドラインから見ながら ますますアメフトとファイターズに
のめり込んでいったのです。

その年の甲子園ボウルは9年振りに明治との対戦。前年に引き続き 激しい点の取り合いでした。
ファイターズは新人の時から天才QBと期待されていた芝川が遂に開眼。
なんと1人で675ヤードのパス (スゲーッ) と85ヤードのランで孤軍奮闘。一方、明治はこれまた
天才RB吉村が、ファイターズのディフェンス陣を引きずって237ヤードを獲得。試合はもつれて
34-32とファイターズ2点リードで第4Qへ、

第4Qに入っても両チームの攻撃は止まらず、TDの応酬から、遂に試合時間32秒を残して
ファイターズが5度目の逆転となるTDを決めて48-46。もちろん、これで決まりと思いましたよ。
ところがどっこい、明治はQB渡辺が 土壇場で51ヤードのロングパスを決めて、
試合時間6秒を残してファイターズゴール前3ヤード地点まで 迫ったのです。あちゃーっと思いましたよ。
なんたって吉村のランを止めるのは至難の技でしたから、3ヤードなんて無いのも同然です。
これで明治の勝利は99%決定です。

しかし、明治はここで何故か(?) フィールドゴールを選択 (普通なら それが正解ですけど、
吉村のランの方が 確実でしたからね) そして キッカーは その吉村。球場全体の悲鳴と共に
蹴られたボールはなんと右に逸れて失敗。そのまま48-46で関学の勝利が決まったのです。

後日談ですが その時、吉村は意識朦朧とした状態で このフィールドゴールに臨んでいたようです。
第4Qの途中で関学DB田原のタックルを受けた際、脳震盪を起こして一時退場。
その後、試合に復帰したものの、やはり万全の体制ではなかった訳です。ということで
この試合の影のMVPは吉村を倒した田原ですよ。絶対に! 今でも私はそう思っています。

下の写真は 私が甲子園ボウルで撮ったものです。なかなか良く撮れているでしょう。
(当時のユニホームのほうが強そうに見えるなー)



第40回甲子園ボウル
('85年12月8日)
関学  7 14 13 14|48
明治 13  7 12 14|46


それから
その後もファイターズは 私にとって大事な存在でした。社会人になって慣れない東京勤務となり、
ホームシックになりかけていた時に (ホンマかいな)、 日大との定期戦の為 上京した
ファイターズを見て元気を取り戻したり、自分の知っている強いはずのファイターズが
怪物QB東海の京大にこてんぱんにやられるのを見て、いつまでも楽しかった学生時代の
思い出に浸っていてはいけないということを思い知らされたりと、

1990年のリーグ戦で まさかの負け越しをした時は、もうこれでファイターズも終わったと
思いましたし、その翌年 見事京大を破って優勝した時は 本当に嬉しかったですね。
それと最近では1993年の京大戦。豪雨の西宮スタジアムでの八田の激走。
皆さん、覚えていらっしゃいますか? あのシーズンのライスボウルも凄かったですね。
最後は社会人の強かさに屈しましたけど、芝原の渾身のパスが、どんなに厳しい状況でも
諦めてはいけないということを 教えてくれました。

さて、これからもファイターズに教えられることが きっと一杯あるでしょう。
とにかく、いい試合を、いい思い出を これからも期待しています。

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